意識高い系=悪なのだろうか?
意識高い系。
もはや、ある程度の年齢なら誰もが知る言葉。そもそもは、
意識高い系=(意識は高いんだけど空回りしている)
というチグハグな学生を指した言葉だった。ここ最近はちょっとがんばってる人まで「意識高い系」のレッテルを貼られてしまっているようなので。
そもそも意識だけ引っ張り上げたのは誰か?
それは即ち「採用する企業側」にあるといえる。
リクナビのようにエントリーが容易になった就職活動は、数多くの応募者を生みだし、
それが選考する企業の担当者の手間を増やしているのはなんとも皮肉ではある。選考にかかる手間を簡単にするために導入した企業もあるだろうに。
そして、応募者大量の中で採用担当者の目に留まるには、書類に載せることができるプロフィールが必要になった。学生だってプロフィールを望んで嘘や虚構で塗り固めたくはないし、何といっても学生のメインは学業に励むことだ。
ただ、書類選考すら通らなければステージにすら立たせてもらえない、となれば場に立つための努力=書類のアピール合戦になるのも責められるものではないだろう。また、セミナー会場で的外れの質問をするのも顔を覚えてもらいたい気持ちの表れ。そこに限っていえば意識高い系と揶揄されるのはかわいそうに思えるが。
学生側から言わせてもらえば、
「御社へ入社したいが、採用担当者様が見る目がないので大変なので、採用の手間が面倒で仕方ない担当者へ分かりやすくアピールポイントを書いてあげましたきました。よろしくお願いいたします。」
だろう。
では、意識高い系=悪なのか?
必ずしも全てがそうとまでは言えない。個人的な感情としては理解しにくいけれどw
上に書いたとおり、
意識高い系=(意識は高いんだけど空回りしている)ということ。
そして問題は本人がそれを認識していないこと。と周囲は考えている。
「実力相応に振舞っておけ。」と。
ただし、解決方法はその言葉に素直に耳を傾けるのみではない。それは、意識高い系→意識高いへのレベルアップである。実力があれば周囲は黙らせられるということだ。
「それはごもっともだけどオレの考えは違った。」
ある試合後そう言い放った本田圭佑選手。これが一つのよいモデルケースだろう。
経歴ないし、発言の数々は検索してみるとよい。というか今更語るまでもないよね。
彼も数々の発言で物議を醸してきたが、結果で黙らせてきた。
つまり、叩きたいやつは叩かせておけばいいし、「あいつ意識高い系でうっとうしいわ」なんて思っていたら遠慮なく叩けばいい。結果が出ていないうちは。
ただし、結果が出てしまった時は遥か後方に取り残されていることも忘れずに。叩く暇があったら自分のこと考えてた方が何倍も有意義だろう。意識高い系の彼らは、方向性はともかく一生懸命勉強しているだけなのだから。
最後に
何はともあれ、 人の個性に寛容じゃない社会はつまらないね。
あまり人のことをバカにしたくは無いが、こんな下らない記事書くなら言わせてもらう。
未熟な若者を叩いて悦に入っていないで、もう一度鏡を見直して見なさいな。
ではでは。