地方はお金を操りひもに、国の傀儡となって踊らされているだけ

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地方が疲弊しているのはさも地方の無計画さが招いているのだと言いたいようで。

確かに一理あることはある。様々な要因はあるにしろ、経営が傾いている自治体なり、商工会なりに考えさせたってたいしたアイディアは出てこないと思うよ。ろくに競争もなかっただろう方々では、たぶん時代にそぐわないことしか出来ないだろうし。

2017年も読者の皆さんは、自治体や商工会議所など、さまざまな会議の場で「今年は新たに何をするか」「4月からの新年度は何をするか」ということをテーマにしているかもしれません。しかし、実は「何をするか」ばかりが議題に上がっている段階で、ヤバのです。それは事業が失敗する「予兆」といっても、いいかもしれません。

 

危険信号1 : 「予算目当て」で事業を増加させる

危険信号2 : 「はやり」に左右されて事業に一貫性がない

危険信号3 :「無駄な数値目標」のために、やることを増やす

 予算目当てで事業追加するのも、一様に地方側の原因だけとは言えない。さらに、「何をするか」ばかりが議題に上がっている段階でヤバイというより、「何もしなければ」いよいよ終わってしまう。

そして、上の危険信号2・3は、予算を出すところ(国)の意向が入っているからと思われる。既存の事業の継続よりも真新しい事業は目を引くし、予算も出しやすいからね。既存の事業の継続やアップデートだと、努力してないと見なされて予算切られちゃうからね。国民も黙ってないだろうし。無駄な数値目標も申請の段階で引き上げられているのも結構あるんじゃないかな。予算の引き合いのために。

 

つまり、予算が欲しくて欲しくてたまらない地方は頭を地にこすりつけても頼む必要があるし、無茶な要求でもなんでも飲まざるをえない。自治体のトップとしても、次(の選挙)を考えると、予算を引っ張ってきたってのが実績になるし。なぜか自分はこの絵が思い浮かんだよ。

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この筆者は締めとして、

「やめること」を決めることから、始めよう

 と言っているんだが、「やめること」=自治体、商工会の死を意味する。疲弊しようと無駄だろうと走り続けないといけないようになってしまったのだ。もともとイベントも何もなければ、ただの縁もゆかりも無い土地なのだから。緩やかに終わりを迎えようとしているところ、税金などなどで延命されている状態。

何もしないで終わるか。それとももがきにもがいて駄目と悟るか。どっちだろうと、昔からいる故郷を自分で終わらせることなんてなかなか出来やしないよ。仮にやめることが最適解だったとしてもね。

 

では