「ベビーカー自粛」騒動で一躍子どもに優しくない寺になった乗蓮寺様へ
「なぁ・・・俺の職場ブラックじゃない?」<大仏様
新年早々、これだけ欲丸出しな人間ばっかりだったら大仏様も困るわ。
まだお賽銭すら入れてもらってない段階で。
寺に欲望だらけの人間が集まるとこうなる
新年も早々に数多くの人が集まる初詣にてそれは起こった。
ベビーカー自粛の看板を見た一般人がTwitterで騒ぎ立てる
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それを見た他のユーザーが騒ぎ立てる
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さらに、障害者や少子化問題に絡めたい人が乗っかる←今ここ
ツイッターはまとめられているのでこちらで↓。
ちなみに勘違いしてはいけないのは自粛=禁止ではない。自粛はあくまで「自ら進んで行動を慎むこと」なのだが、なぜ自粛をお願いされないといけないかは考えた方がよい。ベビーカー連れに限らず、全ての人が。
今回の件、寺は完全に被害者なのか?
寺が自粛の看板を出したこと自体は何も問題は無い。警察まで出てきているし、仮にこのまま何もせずに重大な事故を起こしたら起こしたで、より大きな批判にさらされる。
にっちもさっちもいかない状況だが、その状況を生み出したのは寺にもある。
以下の部分。
ベビーカーに躓いた老人が倒れ怪我をしていた
寺の住職によれば、2年前まではベビーカー、車椅子での参拝を優先させていて、専用通路を作り、係員を配置し安全に努めるという布陣を取っていた。ところが思わぬトラブルが起こる。ベビーカー1台にファミリーが5人、10人と付いてきて専用通路を通り参拝し始めたのだ。混んでいる時にはお参りするまで1時間待たなければならないため、それを見た参拝客が腹を立て「なんだあいつらは!!」と寺の担当者と小競り合いになった。
また、ベビーカーがあれば優遇される寺ということが知れ渡り、小学5年生くらいの子供をベビーカーに乗せて現れる親が相次ぐことになった。親は優先通路に入るとベビーカーをたたみ、降りた子供は敷地内を駆け回った。そこで寺は優先通路を通れるのは押している1人だけ、という制限を設けた。ところが、ファミリーは2手に分かれて参拝することになり、先に参拝を終えたベビーカー組の中には境内近くで合流のため待機する、ということが起こった。
そしてとうとう一昨年(2015年)、お年寄りがベビーカーに躓き、ベビーカーに抱き着く形で倒れてしまった。幸い軽傷で済んだのだがけが人を出したことには変わりがなく、「警察からの要請」もあり、昨年から「ベビーカーご利用自粛」の看板を出すことになった、という。取材に対し住職は、自分も孫をベビーカーに乗せて散歩に行くのが楽しみなため、自粛の看板を出すのはとても残念だった、としたうえで、ネット上で今回の件が「差別」や「少子化」問題になるのは想像もつかなかったし、それが寺に対する批判にも繋がっているとし頭を抱えていた。
http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html?p=allより。
この記事が事実であると仮定すると、赤字の箇所。
ここは寺の落ち度。小5を乗せたベビーカーを素通りさせたら、参拝客にもベビーカー連れにも不公平感を抱かせる。他にも人員を配置しているのであれば、スタッフが入り口で食い止めなければ無法地帯になるのは明らか。
ベビーじゃ無いって分かるでしょ?
それとも、あまりに行動が幼いのでベビーに見えた?
乗蓮寺様、こうしてみてはいかがでしょうか。
これだけ騒がれてしまっては、住職も頭が痛いだろう。そもそも住職は孫をベビーカーに乗せて歩くのを楽しみにしているとなれば、子どもは嫌いではないと。それが今となっては子どもに優しくない寺となってしまった。
とすれば、ここは逆転の一手を。
いっそ子ども&老人の向けの寺にしてしまってはどうだろうか?
- おむつ替え出来るトイレ!
- 子どもに人気!アンパンマン、わんわんとのコラボお守り!
- ちょっと腰を落ち着ける休憩所!
- 老人が歩きやすいよう段差も少なく歩きやすい境内!
もちろん入り口には警備員を置く。
こういった寺がいくつかあってもいいと思う。特に子どもは小さい頃いろいろとお祝い事もあるし、その辺の需要をガッチリ掴み込めれば初詣の賽銭分くらいは稼げないかな?
あ、そうそう。
どうやら大晦日に煩悩払ってなかった人が多いみたいなので、
今年は除夜の鐘10倍打っておいた方がいいかもね。
108発じゃ足りないみたい。
煩悩が払われすぎて来年の願い事も吹っ飛ぶかもしれないよ。
ではでは。