立つ鳥跡を濁さず♯炎上後を考える

炎上について思うこと一つ。

それは、

「ブログにしたためるなら、感情的になるだけでなく、もう一つ上のレベルに昇華してみませんか?」ということ。

気楽なスタンスでブログするのを否定するつもりはないけれど。

 

そう思った発端は、WELQの炎上の件。そしてキュレーションと謳いながら、コピペ記事乱立させるクソサイトを目の当たりにしたから。

炎上から収束した後に残されているのは累々としたディス記事。 

仮に現実世界であれば、討論や口げんかなんかを散々やりあった後は、

勝ち負け関係なく自らの中で喜怒哀楽さまざまな感情を消化していくと思う。

争いの内容にもよるが、おおよそのケースで上手いこと自分の中で折り合いをつけているかと。これは人間の脳みそのつくりがそうさせるのかもしれない。

 

ここで、インターネットの世界に向けるとどうだろう?

年間何件かはインターネット界隈がざわつくような話題があって、各々思いの丈をぶちまける。単純にその事に対する不平不満を述べる人ばかりではなく、正義感を振りかざす人、現実世界の鬱憤が溜まりきった人は数少ない?マウンティングの機会とばかりに、たき火にくべる薪のようにどんどん思いを放り込み、

大きく燃え広がった炎に心を癒した後は、それぞれ気持ちをリセットして現実世界へ帰っていく。

 

そこまではいい。インターネットをどのように使おうとその当人の勝手なのだから。問題はその後の話。現実世界と違って,ぶちまけられた感情は文字となって残る。

もちろん、炎上に加わった人の言葉は負の感情が多いことだろう。

例えばツイッターならともかく、ブログでの吐露した思いは当人が消さない限りは検索エンジン上に残り続ける。それが検索エンジンのノイズを増やし、有益な情報が埋もれてゆく。そして、またSEOに長けた連中が幅を利かせるのだろう。まぁ、その辺はまた変わってゆくのかもしれないが。

 

 先に言ったとおり。インターネットの使い方は当人次第だ。そしてインターネットが感情の捌け口になるのも当然自由だ。

ただ、PV目当てで芸が無い批判記事だけを垂れ流しにするのであれば、長期的に見たらクソ記事生産するキュレーションサイトと大差なくなるわけで。

数年後は宇宙ごみのようにGoogle検索の結果を漂っているだけになるんだ。

 

もっと言わせてもらえば安易にPV稼げそうなネタに飛びつくのは背骨がないよ?とこの人に言われてるようでモヤモヤするわけ。

newspicks.com

 

 

どれだけ魂を記事に置いていけるか。ネタを自分のものにしていけるか。

この記事もブーメランと化さないように気をつけたいものです。